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夢の中の永遠(2)

 
 「夢の中の永遠」(2)

 オフミーティングの会場は駅前の喫茶店だった。一階が銀行であるビルの地下に
降りていくと明るい店内がカウンター越しに見渡せる小ぢんまりした店である。客
席には一人だけ、大柄で腹の出た男が座っていた。ボードの内容を思い出し、これ
が牧羊ネットのシスオペと判断できた。おれは、はにかみつつも笑顔で迎えてくれ
る相手に、ありきたりではあったがこれまでの礼を述べた。そして、ふと胸中に沸
いた疑問を口にした。
 「わたしが一番乗りなのでしょうか。ほかの会員さんは、これからですか」
 「いえ、これで全部です」
 「ほかは誰も来ないんですか」
 「いえ、うちの会員はこれで全部なんですよ」
 何が何だかわからなかった。目を丸くして相手の顔をじっと見た。シスオペは、
なおもにこにこする姿勢を崩さなかったが、ふと視線を落としてつぶやいた。
 「わたしのネットの、あなた以外の会員は全部わたしの独り芝居なんですよ」
 おれは唖然とした。そして相手の顔を見続けた。するとあの女性会員のSも、い
つも書き込みにレスポンスをくれたAも、独特のユーモラスなログをアップするK
も、実はみんなこのシスオペのダミーだっというわけか。
 「あなたに、からかわれていたんでしょうか」
 「いえ、そんなつもりではなかったんです。でも、わたしはまたもや以前と同じ
間違いを繰り返したようです。ご迷惑をおかけしました」

 シスオペはとつとつと語り始めた。
 「本当に申し訳ないことをしました。じつは以前にもわたしはネットをやってい
たんです。わたしの夢は若い人たちがわたしのネットに入ってコミニュケーション
を発展させながら会話型の楽しい世界を築いていってくれることだったんです。そ
のうちアクセスしてきて入会登録をする人が少しずつ出てきたんですが、なぜかあ
まり書き込みをしない。まあ、ご存じかも知れませんがこの地域には草の根BBS
が乱立してるといってもいいくらいで、若いシスオペたちが少しでも多くの会員を
集めようとしのぎを削っているんです。わたしのところなどには、ほとんど人が集
まらない。ところが、あることを契機に若い会員が随分集まるようになりました。
その経過やこのあと起きたことに関しては、当時会員だった若い方のメールを読ん
でいただくと良くわかると思うんです。これは最近、大手ネットのメールボックス
でわたしあてに送られてきたものです」
 おれは印刷された紙の束を受け取った。正直言って、こういった場であまり長い
ものを読まされるのは気が向かなかった。だが、それを断って席を立つことはそれ
なりに勇気のいることだ。仕方なく、読み始めた。

『牧羊ネット』の、もとシスオペ様

 (今度のことを僕はなんらかの形で残しておきたいと思いました。それで下記
のように、僕自身の感想めいたものを交えながらまとめました。チャットの記録に
関しては余分なものを取り除いてたり、いくつかのやり取りをひとつにまとめたり
していますが、 内容に変更はありません)
 
僕たちが「れもん」の名をはじめて目にしたのは、去年の四月頃だったように思
う。たぶんゴールデンウイークを控えているにもかかわらず旅行の計画さえなく、
暇で仕様がない時期に、僕はそのネットにアクセスしたのだ。そのNETは三月に
開局したばかりで四十代半ばになるシスオペさんは、まだパソコンの操作もおぼつ
かない人であるらしい。若い他のネットのシスオペにオンラインでノウハウを教わ
りながら、一生懸命勉強して開局させたということだ。草の根もいいとこ、最初は
ハードディスクもなく、もちろん単回線でスタートさせたが、案の定、あまりぱっ
としたネットではなかった。僕も友人に教わってアクセスし、入会登録はしてはい
たが、もっぱらさっとログを読むだけで書き込みはほとんどせず、正直言ってあん
まり興味も持てず、忘れかけてたのだ。 久しぶりにログインしたこのネットは三
回線に(なっていた)。四十メガとはいえ、ハードディスクも装備され、ボードも
拡張され、「文芸コーナー」なども設置されていた。もっともそのコーナーにはほ
とんど書き込みがなかった。シスオペさんは若い頃、仲間と集まってガリ版刷りの
同人誌を発行したりしていたらしく、どうやらその感覚でBBS運営も始めたらし
い。しかし会員の方としてはそんな意図など完全に無視しフリートーク中心の楽し
い会話型ネットを作っていっているのだ。
 メニュー画面に向かって回線の使用状態を見る「W]コマンドを実行した。これ
でシスオペさんや、他の会員がログインしているかどうか知ることができるのだ。
そこには「マサル」という僕のハンドルネームの他に「れもん」というハンドルが
表示されていた。
 僕は「れもん」というハンドルを見て一瞬心がときめいた。女性会員だろうか。
草の根BBSには女性の会員が極めて少ない。ちなみに僕は女性会員とチャットし
たことがまだなかった。さっそく、すぐ相手に届く一行メッセージ「電報」を送っ
たのだ。
 「はじめまして。マサルでーす。よろしくね」
 すぐに返事が来た。
 「はじめまして、れもんでーす。チャットしない?」
 女性からチャットの誘いが来るなんて、なんてついてるんだ。僕はあわててチャ
ットルームに入ろうとしてコマンドを間違えて入力し、メニュー画面が繰り返しス
ライドするのにじれてしまった。やっとチャットルームに入いれたとき、れもんは
先に入って待っていた。
 「ハロー、こんばんわあ。はじめましてえ」
 「どうも、はじめまして」
 「わたし、最近入会したんですけど、マサルさんはどうなのかな?」
 「僕はID見てもらえばわかるんだけど十番台で最初の頃。でも、ほとんどアク
セスしていません。書き込みなんかゼロ」
 「きゃはは。あんまりマジメじゃないのね」
 他人が読んだら馬鹿みたいだと思うだろうが会話型ネットのチャットなんてこん
なもんだ。結構軽い乗りで、旨くいきそうだな、と僕は思った。
この日、僕はネットの制限時間である一時間でれもんが自動的にログオフさせら
れるまでをチャットですごしてしまった。何というか、たわいもない会話ばかりだ
ったのに、あっという間に時間がすぎて「あ、もう時間よ、落とされるわ、それじ
ゃ明日もね」という別れの言葉が、会話の流れを突然遮断して、れもんは僕の前か
ら消えてしまった。すぐに僕もログオフしたが、電源を落としたパソコンの周りで
「明日もね」という言葉が、いつまでも部屋の中を飛び回るのだった。
 翌日も同じ時間に僕はこのネットにログインした。この日はシスオペさんとれも
んがチャットしている最中で、会話の邪魔をすると悪いので遠慮しようかと思って
いると画面に「電報」が表示された。
 「れもんさんが待ってるよ。ボクは忙しいのであとはおまかせ」
 チャットの最中にもWコマンドで他の回線からログインしたのがわかるのだ。こ
の日も僕はれもんがタイムオーバーで落とされるまでチャットルームにいた。
 れもんは僕よりひとつ下で二十才だという。昼間ファーストフードでアルバイト
をしながら夜は大学に通っているとのことだった。郷里は北海道で、父親がいるが、
母親は彼女が高校の時、病気で亡くなったという。僕はなんだかとてもれもんに、
会いたくなった。 「こんど、二人でオフミやらないか」
 「いいわね、れもんもマサルに会いたくなっちゃった」
 「渋谷あたりでもどうかな?」
 「きゃほー、一度行きたかったもん」
 「いつ頃がいいかな?」
 「ちょっと待ってね、えっと、うーん、夏休みまで無理だなあ」
 「じゃあ、夏休みまで待つよ」
 (なんだって、夏休み?随分先だなあ)と思いつつつも、二度目のチャットでデ
イトの約束まで出来たことは僕自身としては充分満足のいく線だと自分に納得させ
た。なんか都合よくいきすぎている、という気持ちは僕にはなかった。チャットの
軽い乗りがうまくはまる時ってこんなもんかもしれない。
 それからというもの僕の頭の中はれもんのことで一杯になったが、そのネットに
毎日ログインするのもなんかもの欲しげでみっともない気がして二・三日おきに入
っていくことにした。れもんはその時間にはいつも必ずいてチャットが弾んだ。し
かし、三回線なんだからチャット中にもうひとり入ってきてもよさそうなのに一度
もそれがなかったのも不思議だった。

 れもんはフリーボードでも活発に書き込みを行った。ほとんどが会話型の短いロ
グの応酬で、結構他のメンバーともチャットしている様子がうかがわれた。中学三
年生の会員の書き込みに「れもんに電報でオンラインキッスしてもらった」などと
いうのがあり、僕はどきっとした。れもんは誰とでもそういう風に気安くチャット
の相手をしたり、なんか過剰なサービスを振りまいたりしているんだろうか。僕は
少し胸が締め付けられるような思いがした。実際に会ってもいない相手にそんな風
になってしまうもんだろうか。
 ある日、僕はフリーボードに最近感じてきた疑問について書き込んだ。それはこ
のネットにログインして会える会員が、シスオペさん以外には、いつもれもんしか
いないことだった。以前なら全然流行ってなかったネットなので、ログインする会
員が少ないのに疑問は感じなかったのだが、ここのところれもんのおかげでこのネ
ットは結構栄えている。話し中の時もあるのにログインすると誰もいなかったりす
る。なんか変だな、というのがその書き込みの主旨だった。
 ところが、この書き込み以来、僕はれもんに会えなくなった。いつもの時間に来
ると必ずいたれもんにはこのネットでは会えなくなったみたいだった。一説による
と他の会員とここのシスオペさんとれもんの三人でチャット中に、れもんがシスオ
ペさんのことを「中年は説教臭くて嫌いだ」と言い出したらしい。それで「パソコ
ン通信に年齢のことは関係がない」というシスオペさんと喧嘩になり、あげくの果
てに「二度と来ません」と言って強制ログオフしていったという。もともとれもん
はシスオペさんと仲が悪く、チャットでは他の会員の前でもしょっちゅう喧嘩して
いたらしいということも、初めて知らされた。他のネットで彼女を見かけたという
会員もいて、みんなそちらにれもんを探しにいったのか、ここはたちまちにして寂
れ果ててしまったようだった。僕も十日余り毎日同じ時間に来たが、れもんがいな
いのでは身をもてあまし、すぐにログオフした。だが‥・
 その日も僕はとりあえずちょっと覗いてみようと思いこのネットにログインした。
最初に回線接続状況を見て、れもんのIDを見つけた。しかしハンドルネームが「
れもん」ではなく「れあもん」となっていた。とりあえずチャットルームに入って
みよう。
 「れもんかな?」
 呼びかけたのに返事がなかなか返ってこない。僕は疑問の言葉を入力した。
 「ハンドルネーム、変えたの?」
 「ふっふっふ」
 「どうしたのかな?」
 「馬鹿ものめ。私を本当に女だと思ってたのか」
 「へっ?」
 「まんまとひっかかってくれたな」 
 「え? 本気?」
 「とんまな奴だ」
 「あなたは誰だい」
 「俺は悪魔だ」
 「あ、あくま」
 「おれはこの前までMに取り憑いていた史上最大の悪魔れあもん伯爵だ」
 「Mって、あの、連続幼女殺害事件の犯人ですか」
 「そうだ、あいつに殺人を犯させたのは俺だ。ところでお前はMをどう思う?」
 「私はオタクじゃないけど、Mはそんなに特別に異常な人間ではなかったと思う。
誰もがあんなになってしまうわけではないが、誰にもああなってしまう可能性があ
るかもしれない」
 「ふむ、わりとまともな感想だな。お前たちはみんなそうなんだ。幼女の命が奪
われたことにこぞって非難を投げかけるが、決して深く考えはしない。いわば幼女
の命という絶対的な正義の立場でMを非難するか、逆にMを自分に近い存在として
擁護しようとさえする。どちらも大きな間違いだ。俺はお前たちが『生命の尊厳』
をどこまで信じているか試しに来たのだ。だがお前たちはそろいもそろって腰抜け
のオタクぞろいで、誰も『生命』を救おうとしなかった。そのことでお前たちは永
久に闇の底に墜ちたのだ。だが、誰もそのことに気づきさえもしない」
 僕は最初、もしかしたら「れもん」がふざけて「れあもん」を演じているのかと
思っていた。しかしここまでのチャットで、その可能性に対する期待を放棄してし
まった。相手は少なくともこの前までのれもんではない。正気かどうかさえもわか
りかねたが、判断する冷静さも持てないまま、いつの間にか相手のペースに引き込
まれていた。
 「盗人たけだけしいというか、殺人者たけだけしいという奴ですね。あなたがM
にとりついて幼女を殺させたのなら、そんなあなたが『生命』について人を非難す
るのは変ですよ」
 「ええい、黙れ!あの事件のニュースが出た頃、マスコミはこぞって『幼女』の
生命を奪う憎い奴と騒ぎ立てた。そうした『作られた生命観』の押しつけにお前た
ちはうんざりしてしまったのだ。その結果、もはや誰も本当に『生命』を考えよう
としなくなった。俺の与えた最後のチャンスをお前たちは放棄したんだ」
 「『お前たち』って、誰のことですか。あなたはなんか勝手な思いこみで、自分
で一方的に誰かを悪者にしたたてて、責めてるんじゃありませんか」
 「ふん、しらばくれてやがる。まあいい。お前たちの次の失敗は決定的だった。
Mが逮捕されたとき、お前たちは新聞の「裏づけのない報道」を非難し、警察の誤
認逮捕に抗議した。しかし、どうやらそれが誤認でないと知る否や、突然M擁護を
始めたのだ。『そりゃあ、彼はとんでもなくオタクかも知れない。しかし、彼は我
々からそう遠くない。誰でもああなってしまう可能性はあるんだ』そうしてお前た
ちはついに生命について本気で考える機会を投げ捨ててしまった」
 「幼児の生命を奪っておいて、他人を責めるとは何という」
 「俺は幼い彼女たちを神よりも愛した。彼女たちの骨の一部をビデオに収めたの
はそれを表現するためだ。あのカメラアングルには最高の愛を込めた。しかし残念
なことに、あのビデオテープは裁判資料でお蔵入りだが」
 「悪魔が神を口にするとは」
 「はっはっは、神は幻想だが悪魔は現実なのだ。いいか、この地上で幼い子ども
たちが戦争や飢餓によってこの瞬間にも次々に信じられない不幸や悲しみを背負い
ながら死んでいっているのだ。神が本当にいるならば、どうして罪もない子どもた
ちが残虐にさらされながら死んでいくのだ。人は言う。そうした試練を受けた子ど
もたちこそ真っ先に天国で神の御胸に抱かれ天使になれるのだと。冗談じゃあない。
そんな生を与えるなんて、神は人をただ弄んでるだけなんじゃあないか。俺は彼女
たちを永遠に滅びることのない愛の対象として映像化してやったのだ」
 「それで……」
 「なんだ?」
 「『れもん』は、いなかったんですね」
 「うむ、それにしても、みごとにひっかかったな」
 「信じられない」
 僕の中は多分ボーッとしていた。この場から逃げ出したいような気持ちになって
いたかもしれない。にもかかわらず、なんか金縛りにあったようで、また逆に変な
明晰さも一部に残っていて、この事態の進行にかかわり合っていた。いま行われて
いるのは、現実なんだろうか。ここ数週間あったことは、本当にあったことなんだ
ろうか。しばし呆然と空白の時を過ごしたのち、僕は相手に断ることもしないでそ
のままログオフしてしまった。
 

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